火垂の墓をよんで

1996夏

daichi chiba

火垂の墓を読んで、日本が戦争に負けたときのことを考えた。戦争は人の性格までいろいろなふうに変えてしまうのだと思った。


親切だった学校で会った人。
お母さんが怪我をしたとき、「なんかあったら言ってちょうだい」と声をかけてくれた。清太と節子に配給の乾パンをとってきてくれた。


二人だけになった清太と節子が訪ねていったおばさん。
土の中にうめていた、梅干しやかつぶしやにしんそれとバターをもっていったらおばさんは、すごくよろこんだ。でも生活がきびしくて、だんだん二人に冷たくなっていった。お母さんの着物をお米にかえたけど清太と節子は食べさせてもらえなくて、おばさんの子どもたちばかりに食べさせるようになっていった。もしぼくが清太だったら文句をいいたくなるけど、迷惑かけていると思うと文句も言えない清太と節子はつらかったろうと思う。おばさんは、節子にお母さんが死んだことをいってしまった。清太は節子をかなしませたくないからかくしていたのに。


畑の人のこと。
おばさんの家を出て、食べるものもなくなった清太と節子が、畑の人に少し食べ物をわけてくれとたのんだが、人にわけるほど作っていないと簡単にことわれてしまった。病気の節子のために砂糖汁を飲ませたくて畑でサトウキビを盗もうとして、畑の人に見つかって「勘弁してください」といったが顔がはれるまでたたかれて警察につれていかれた。それでもまだ畑の人は不服そうだったが、お巡りさんは、事情を聞いて清太にやさしい言葉をかけてくれた。


戦争がなければ
おばさんだって二人に親切にしてくれたと思う。畑の人も少しくらい自分の食べ物をわけてくれるだろう。第一、戦争がなければお父さんもお母さんも死ななくてすんだ。戦争で食べ物がなくなると、よその子どもが食べ物がなくても、病気になっても自分たちだけの食べ物をまもろうとしてしまう。でも父母がいない子供たちはだれもまもってくれない。もしぼくがおばさんや畑の人だとしても、やっぱり同じ事をしてしまうかもしれない。 戦争は人の心までも変えてしまう。 戦争なんてやらないで話し合いでかいけつできればいい。ぼくは、なんで戦争なんてあるのだろうと思った。

 

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